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Wednesday, July 24, 2019

佐々木15奪三振!甲子園賭けて花巻東と決勝――高校野球・岩手大会(川端康生) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース

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20年目の夜

20年目の夜は、少し迷ったけれど、やっぱり国立競技場で迎えた。

1993年5月15日、国立競技場にいた。興奮していた。高揚していた。眩いばかりの輝き、躍動する選手たち、スタンドに漲っていたエネルギー。新しい何かが始まる予感に、とにかく興奮し、昂揚していたのを覚えている。

少し迷ったのは、その夜、ヴェルディのゲームも行われていたからだ。

あのオープニングゲームを戦った(というより“主役”だったと言っていいだろう)ヴェルディは、ホームタウンとチーム名を「川崎」から「東京」へ変え、いまやJ2が定位置となりつつある。

松本まで足を運び、そんなヴェルディの試合を見ることこそ、20年目の夜の迎え方としてふさわしいかもしれない……そんなふうにも思ったから、少し迷ったのだ。

結局、国立競技場へ出掛けた僕は、それでも(記者席ではなく)ゴール裏に向かった。

この夜のカードで言えば、アルビレックス新潟のサポーターが集うゴール裏、あの夜のゲームではすべてのゴールが決まったサイドのゴール裏、その最上段が僕にとっての興奮と高揚の場所だったからだ。

チケットを手に階段を昇った。最上段の隅の隅。振り向くと、そこには日本青年館があって……なんて記憶を辿っていると込み上げてくるものがあった。センチメンタルな気分。

スタンドを見渡すと、空席が目立っていた。この日の入場者数、1万2724人。超満員(5万9626人)だったあの夜とは比べようもない。

けれど、平日ナイターのナビスコカップということもあって、レプリカを来て大きな声を出す人たちばかりではなく、仕事帰りのサラリーマンやOL、それも一人で観戦に訪れている人の姿がかなりあった。

興奮の坩堝、そんな表現がぴったりだった20年前と比べれば熱気は薄い。でも、リビング(日常的)なものとしてJリーグ(あるいはサッカー、あるいは応援するチーム)と付き合う大人が増えたことは、紛れもなく20年という時間の賜物だと思う(もちろん選手のプレーとゲームの質の向上も)。

走りながら考えてきた

試合後に話を聞いていたら、やはり「松本行き」(松本山雅×東京ヴェルディ)を考えた記者が何人かいて、何だか嬉しかった。「5月15日」を特別な思いで迎える仲間の存在を確認できて、心強かったのだ。

同時に、チーム数の増加と、全国各地への広がりも改めて実感した。

20年前、10チーム(5試合)でスタートしたJリーグは、いまやJ1だけで18チーム(9試合)が毎週末行なわれる。さらにJ2には22チームあって11試合。つまり週末には20試合が、全国各地で開催されているのだ。

「全国各地」に異論を唱える人はいないが、「J1=18チーム」「J1・J2合わせて=40クラブ」には様々な意見が聞こえてくる。

まして来季からは「J3」の創設も決まっている。

さらに言えば、やはり来季から「チャンピオンシップ」復活の噂もある。やっぱり賛否が分かれる話題だ。

初代チェアマンの川淵三郎が、当時しばしば口にしたように、Jリーグは走りながら考えてきた。その時々に変更を施しながら20年走り続けてきた。

レギュレーションだけではない。ピッチの中から、スタジアムの外まで。様々な施策を、時代と状況に応じて施しながら、「いま」に至っている。

うまくいったものもあれば、そうでなかったこともあった。けれど、その時代時代に真剣に考え、判断し、色んなことを決めたり、変えたりしながら歩んできたのだ。

誰が?

その問いに僕は、「僕たち」が、と答えたい。

僕が20年前のあの夜を想ってセンチメンタルな気分に浸れるように、この20年間の色んなことを思い出して元気になったり、憤ったりできるように、「僕たち」の誰もがそれぞれにJリーグと付き合ってきたのだから。

誰がパスをつなぐのか

これはもう何度も書いたことだけど――リレーに例えるならば、「僕たち」は第一走者でもなければ、アンカーでもないと思っている。

かつての誰かがつないできたバトンを、次の誰かにつなぐために僕たちは存在しているにすぎない。でも、だからこそ責任は軽くない。

サッカーに例えるならば、「僕たち」は誰かが出してくれたパスを受け、そして次の誰かにパスをつなぐ一人の選手なのだ。

もちろん、もらうパスの精度がちょっとくらい悪いからといってそっぽ向くことは許されないし、トラップミスをグランドのせいにすることもできない。

シュートを狙ったっていい。でも、首尾よくゴールが決まったからといって、それでゲームが終わるわけではない。これはエンドレスで続いていくゲームなのだ。だからゴールの喜びに浮かれることなく、ボールをセンターサークルに運び、次のキックオフを始められるようにしてあげなければならない。

付け加えるならば、サッカーは一人ではできないし、ゲームは相手がいなければ成立しない、ということも肝に銘じておかねばならない。拍手と握手。それこそがゲームの基本であり、リスペクトの証なのだ……なんて饒舌に語り続けると説教臭くなってしまうのだけど。

とにかく――20年前、Jリーグを創った人たちがいて、20年間、Jリーグを続けてきた人たちがいて、だから、いま「Jリーグ」はある。

受け取ったパスを、次の誰かにつながなければならない。

Jリーグ(と日本サッカー)について「僕たち」で考えたい。

*****

*本連載では、「ピッチの上」(強化や育成や普及)だけでなく、「スタジアムの外」(クラブの経営であったり、メディアの役割であったり、サポーターたちの意識であったり)についても考えていきたいと思っています。

また「テクノロジーとの関係」(パソコンの普及とサッカーブームがほぼ同時期に起きた日本においては、たぶんインターネットとサッカーの間には特別な関係があるに違いないから)などにも手を伸ばしたいとも。

ぜひ「パス」のつなぎ手として御参加ください。

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2019-07-24 09:41:00Z
https://news.yahoo.co.jp/byline/kawabatayasuo/20190724-00135517/

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