モータースポーツではメカニックの存在は大きい。特にラリーではサービスポイントまでたどり着けば何とかしてくれると思うほど、ラリークルーにとっては頼りになる存在だ。
各チームとも腕利きのメカニックがいたが、DCCS(ダイハツ・カー・クラブオブ・スポーツ)でダイハツ車に乗る以外では、わがKYBチームはADVANラリーチームを運営するTUSK(タスカ)に車両制作からメンテナンス、サービスの面倒を見てもらっていた。TUSKには強者メカニックが揃っていたが、繁忙期になると助っ人が増え、実戦ではラリー車の台数も増えるのでメカニックはさらに増えた。
みんな顔見知りで信頼がおける連中だが、中でも最強だったのは福島の東海林哲郎メカだ。実戦だけでなく重整備が必要となるテストでもよく一緒になった。厳冬の旭川のような過酷な条件も少なくなかったが、東海林さんの福島弁はいつもみんなを明るくさせてくれた。
そういえば1人でストラットのバネを交換する離れ業もやったという伝説もある。本当だ。力があるだけではできないこと。秀でたラリーメカニックは応用力も兼ね備えている。
国内でもお世話になったが、ADVANチームが遠征した英国RACラリー(現在のラリー・グレートブリテン)ではずっと一緒だった。自分が1982年~1989年の8年間、11月の英国に通い続けたころだ。
国内では大抵の場合1チームのサービスがいれば事足りたが、RACラリーとなると分散しなければならない。確か3~4チームぐらいでサービスを行なっていた。TUSKのプロパーメカニック、日本人の助っ人メカニック、英国人の助っ人メカニックに加えて、マネージメントチームなど、少なくとも20名ぐらいはいたと思う。サービス隊はフォード・トランジットのような大きなバンを中心にして2台~3台が1チームとしていたと記憶する。
ラリー中のルーティンの作業は最初から決められているが、ラリーが進むにつれて交換パーツが多くなり、サービスチームによって持っているパーツが違う。そこへ緊急の重整備が発生すると作業の優先順位を決めて行なうのだが、サービス時間が限られているので手際のよさが求められる。
ボクはRACではコ・ドライバーだったので、ドライバーの大庭誠介先生(本職は歯医者さんなので先生です)の代わりに走り方などからクルマの状況を伝える。大庭先生はナチュラルドライバーで、クルマに合わせた走りが速くてスムーズだ。しかしスタリオンでは何回か危ない目に合った。スタリオンでの2年目だと思うが、サットンパーク(文字どおりの公園の中で、RACでは珍しいターマック)での走りは絶好調だった。強豪ぞろいのワークス勢の中でもしっかりとタイムを刻んでいた。が、好事魔多し。右コーナーでスッとフロントが抜けてそのまま草の上を滑って木をなぎ倒しながら逃げ惑う観客を避けるようにしてやっと止まった。クルマには結構なダメージがある。もうダメかと思ったが、幸いにして押し出してもらえてコースに復帰し、サービスに辿り着いたがスタリオンの左側はかなりのダメージ。リタイヤも頭をよぎったが、東海林さんの大きな体を見ただけで「あ、大丈夫だな」と感じた。その予感どおり、一斉に飛びついたメカニックはあっという間に破損パーツを交換、板金までしてタイムコントロールに間に合わせてくれた。
その時のRACラリーはその後も順調に走って無事完走。ワークスとセミワークスのひしめく中にあって23位で完走できた。その代わり、ボクは開かなくなった左ドアの代わりにドライバー席から乗降する羽目になったが。
1987年のRACラリー。車両は同じくスタリオン。ラリー後半、トランスミッションがやばくなってきて交換作業が必要になった。もちろん時間はそれほどない。15分ぐらいだっただろうか? それでも、サービスチームのメンバーを見て「可能かも」と思った。東海林さんや類瀬、そして後にアジア・パシフィックラリー選手権のGrNチャンピオンとなる片岡良宏君もいた、最強のサービスポイントだったのだ。そして東海林さんの真剣な顔を見た時、“かも”は確信に変わった。11月の英国は寒い。しかも氷雨まで降っており、ダートのサービスポイントは川となってグチャグチャ。暗くて作業環境は最悪だ。片岡君は余程つらかったらしく、今でも当時のことを思い出して「もうラリーはやめようと思った」と言っていた。しかし東海林さんの指示でみんな、手際よく作業を完了して送り出してくれた。この時は総合11位でもう少しでマニュファクチャラーのポイントまで稼げる最高の成績を上げることができた。これもサービスのおかげである。
1989年でボクはラリーの実戦からほぼ身を引いたが、スーパーメカニック東海林さんはその後もラリーと共にあり、サファリでは三菱チームのフライングメカニックも担当した。ヘリでラリー車を追っかけ、緊急サービスを行なうのだ。地上すれすれまで降りてきたヘリから飛び降りて作業をする。実力はもちろん、チームの信頼がなければできない仕事だ。その実力に象徴されるように、顔を見ただけで何とかなると思わせてくれるほど存在感は大きかった。
その鉄のように頑丈だと思っていた東海林さんが逝ってしまった。病には勝てなかった。残念の極みで悲しい。
文章もダイナミックで面白く、1990年~2000年までプレイドライブに連載していた「油まみれラリー日記」を本にして2016年に手渡ししてくれたことがある。今夜はその本を片手に、好きだった酒を飲みながら東海林さんに感謝したい。
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April 05, 2020 at 10:00PM
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