「朝、店頭に並べない現役世代を尻目にマスクを買いだめする老人」
「本当は在庫を隠しているのだろうと店員に食い下がる高齢男性」
「列に割り込み、注意した人に暴力を振るう70代男性」……。
今回のコロナ禍では日本全体が緊張感につつまれるなか、一部の高齢者による地域社会でのモラルが皆無な行動に対し、「暴走老人」などといった批判が生まれ、新たな火種となりそうな状況です。一方で、高齢者がなぜそのような行動に走るのかを、自分の将来の姿に重ね合わせながら考えるきっかけにもなった人は多いのではないでしょうか。
定年を境に男性は、それまでの会社生活とは異なる環境変化に戸惑い、なかにはうつや認知症を引き起こしたり、病気までとは言わないまでも、怒りっぽくなったり、暴言や奇行が目立つようになったりするケースが見受けられます。それらは介護や認知症並みに地域や家庭での深刻な問題になっているのが現実です。
そこで大事なのが50代の現役のうちに、定年後のさまざまなことを想定しておき、準備しておくことです。この連載では、『定年を病にしない』(ウェッジ刊)より、医学博士の高田明和氏が、50代のうちに「定年後の自分」に早く向き合う必要性を事例とともにお伝えします。今回は、定年後に地域や家庭で孤立を深めていった男性の事例です。
定年後の「孤独」を遠ざけられない人が陥る問題行動
製薬会社で営業本部長として忙しく働いてきた敦史(61歳)は、4年前に突然妻を亡くしたのを機に早期退職し、寂しいながらも悠々自適の生活を送っていた。
だが、最近になってイライラすることが増えていた。コンビニやスーパーのレジで店員がもたついたり、病院での対応が悪かったりすれば、自分でも驚くほどの暴言を吐くことさえあった。このイライラはエスカレートし、店員の対応が完璧でも、その手際のよさに温かさがなければイラつくほどだった。そのうちコールセンターにも電話をかけるようになり、「おまえでは話にならん。責任者を呼べ!」などと暴言を吐くようになった。
ただ、暴言を吐く相手は女性か気の弱そうな男性ばかりで、敦史もそのことに気づいて恥ずかしく思い反省することもあったが、改善することはなかった。
敦史さんは忙しく働いていたので、定年後は奥さんとの生活を楽しみにしていたのかもしれません。早期退職をしたのも奥さんを喪(うしな)ったショックが、あまりにも大きかったからでしょう。喪失感や寂しさからくる孤独が暴言の引き金となったのでしょう。暴言はいけませんが、私も7年前に妻を亡くしましたから、敦史さんの気持ちは分かります。
私と妻は特殊な夫婦だったといえます。妻とは大学入学時に知り合って付き合うことになり、大学院や米国(アメリカ)留学でも一緒でした。帰国後は浜松医科大学で、ともに研究生活を送っていたので、ここまで時間を共にした夫婦はめずらしいといえるでしょう。まさか突然妻が亡くなるとは思っていませんでしたから、実感がなかったくらいです。
妻とはよく旅行したのですが、妻がいなくなってからは、旅行したいと思わなくなりました。旅先で美しい景色などを見ても、妻とそのことについて、いろいろと話せるから楽しかったのです。それができない今となっては、旅行する意味がありません。ほかの人と旅行の楽しさを共有したいとも思いません。旅行は、私の横に妻がいたからこそ、楽しかったのです。
老後の三大不安として「健康」「お金」「孤独」が挙げられますが、最も深刻なのが「孤独」です。私も高齢者なので例外ではありません。ただ、妻を亡くして孤独に感じることはありますが、幸い働くことで孤独を遠ざけることに成功しています。仕事で出会う人たちとの時間が楽しいのです。
近年では、雑誌やテレビ、ネット記事で「キレやすい老人」「暴走老人」「高齢クレーマー」などのタイトルをよく見かけるほど、一部の高齢者の問題行動が取り上げられています。今回のコロナ禍でもしばしば報じられていました。これはおそらく孤独が引き金になっているのでしょう。最近では、「暴言・暴力を許しません」と張り紙をした病院や老人介護施設も増えているといわれているくらいです。
敦史さんのように出世した人ほど、定年後は働いていたときのように権威が通用せず、ギャップが大きい。そのため承認欲求が満たされず、問題行動につながりやすいのです。奥さんを亡くして孤独な生活を送っていれば、暴走が止まらないでしょう。
男性は加齢により前頭葉の機能が衰え暴走しやすくなる
人間は加齢とともに感情をコントロールしにくくなってきます。これは年を取ると脳のなかで最初に感情をコントロールする前頭葉の機能が低下し、理性で抑えられなくなってくるからですが、前頭葉だけの問題ではありません。承認欲求が満たされないのも、大きく影響しているでしょう。前頭葉を鍛えるのなら、瞑想をしたり、運動をしたりするなど、有効な方法があるのですが、承認欲求を満たすのは、そう簡単にはいきません。
何かとマイナス面が取り上げられることが多い高齢者ですが、統計を見ても深刻さがうかがえます。例えば、「コールセンター白書2014」(リックテレコム)によると、コールセンターのクレームは60代以上が35.8%で断トツです。
暴力行為も問題になっています。JRや民営の鉄道各社が発表した、平成30年度(2018年4月〜19年3月)に発生した、駅係員や乗務員などの鉄道係員に対する暴力行為は630件でしたが、 60代以上が24.6%を占め、どの年代よりも多かったのです。この統計からも、キレる高齢者は決して少なくないといっていいでしょう。
敦史さんは弱い立場の人や反撃ができない人に対しての暴言を反省していますので、まだ救われるところがあります。
理想の自分を演じれば、気持ちに余裕が出てくる
人生をおろそかにせず、他人を傷つけず、社会を乱さない生き方がもっともよい、と私は思っています。暴言がやめられないとはいうものの、そんなことは敦史さんも十分に分かっていることでしょう。しかし、やめたいけど、やめられない。
では、どうすればいいのでしょうか?
私の場合、アメリカで牧師、著述家として活躍した、積極思考で有名なジョセフ・マーフィーの次の言葉を口ずさんでいました。
「現実の自分よりも、理想の自分を愛しなさい。そして、理想の自分で他人と接すれば、他人からも評価を受けます」
思いは必ず現実化します。敦史さんもこの言葉をつぶやき、役者になったつもりで、この言葉通りの行動をしてみるといいでしょう。役者にとって大切な要素は、自分の感情をコントロールすることです。役者を目指して自分の感情をコントロールするよう心掛けているうちに、普段でも感情のコントロールができるようになった人を、私は知っています。
最初は自意識が邪魔をして、抵抗があるかもしれませんが、他人から評価されるようになるので、やってみる価値はあります。いくらか承認欲求も満たされるでしょう。ゲーム感覚で演じてみればいいのです。
このほかにも、『定年を病にしない』や他の既刊の中でも触れていますが、理想の自分に合った言葉が見つかれば、その言葉の通り行動してみるのもいいでしょう。言葉だけでなく、好きな役者や歴史上の人物でも構いません。この人なら、どんな行動をするだろうかと考えて行動するのは楽しいものです。気持ちに余裕が出てくるでしょう。
敦史さんの場合、寂しいながらも悠々自適の生活を送っているわけですから、暴言さえ治まればイライラすることは激減するかと思います。そのためにも理想の自分を演じることが近道です。他人から評価されるのはうれしいことですので、暴走から遠ざかることができるでしょう。人とのコミュニケーションも楽しくなってくると思います。
――「定年後の自分」を考えるヒント――
- 定年後、最も深刻なのは「孤独」の問題であり、孤独が暴走の引き金になる。統計的にも暴走老人が決して少なくなく、事件にまで発展しやすいことを理解しておく。
- 人間の行動を調節し、極端に走らないようにしているのが前頭葉の働きである。年を取ると、前頭葉の機能が低下するので、暴言を吐いたり、他人と言い争ったりしがち。前頭葉はストレスに弱いので、自分の好きな言葉をつぶやいたり、好きなことを趣味にしたり、理想の自分を演じたりするなどして、常に気分を明るくするように努める。
著者プロフィール
高田明和(たかだ あきかず)
1935年静岡県生まれ。慶應義塾大学医学部卒業、同大学院修了。医学博士。米国ロズエル・パーク記念研究所、ニューヨーク州立大学助教授、浜松医科大学教授を歴任後、現在同大学名誉教授。専門は血液学、生理学、大脳生理学。日本生理学会、日本血液学会、日本臨床血液学会評議員。脳科学、心の病、栄養学、禅などに関するベストセラーを含む著書多数。最近はマスコミ・講演で心と体の健康に関する幅広い啓蒙活動を行っている。自身もうつやHSP(超敏感気質)に長年苦しみ、HSPを扱い紹介した『敏感すぎて困っている自分の対処法』(監修、きこ書房)は日本での火付け役となり、話題を呼んだ。最近の著書に『「敏感すぎて苦しい」がたちまち解決する本』『HSPとうつ 自己肯定感を取り戻す方法』『HSPと発達障害 空気が読めない人 空気を読みすぎる人』(いずれも廣済堂出版)がある。
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