徳重和牛人工授精所は慰霊碑を建立し、活躍した種雄牛を弔う。碑文には「ありがとう平茂勝」とある=さつま町
種付けだけでなく、和牛改良の要である種雄牛づくりでも知られる。2頭とも肥育大手「のざき」(薩摩川内市)を介して譲り受け、天寿を全うするまで世話した。
平茂勝は伸び(発育)、安福久はサシ(霜降り)に最大の特長を持ち、敷地には功績をしのぶ慰霊碑が建つ。「碑石の下に生前付けていた鼻輪が納めてあるの」。徳重さんは懐かしそうに思い出を語った。
■幻の牛
平茂勝は1990年、宮之城町(現さつま町)の繁殖農場で生まれた。当時人気のあった種雄牛と、肉質に優れた子を3頭続けて産んだ母牛を掛け合わせ、出生時の体重は57キロもあった。通常の子牛の倍近い大きさである。
生後半年でやって来た日のことを、徳重さんはよく覚えている。見たこともない体格に、夫の学さん(故人)は種雄牛としての将来を確信し、わが子が生まれたかのように喜んだ。
毎日数キロの道を引いて歩き、種雄牛として長く活躍できる体力を培った。おかげで18歳(人間の90歳相当)まで長生きし、生まれた子牛は30万頭を超す。
安福久は2001年に栃木県で生まれ、食肉処理されるところを持ち主が残し、縁あって「のざき」に引き取られた。
不思議なことに、娘牛ばかりにきめ細かいサシが入る能力が強く現れた。その血を受け継ぐ雌牛が県内に増えると、鹿児島は母牛レベルが瞬く間に全国トップ級に駆け上がった。そして、子牛産地としての名声を不動のものにする。
5年余り前に死んでからは、安福久系の母牛は希少価値が高まり、ほとんど市場に出回らない。まさに「幻の牛」といえよう。
■確率1%未満
一生に1頭、いい牛ができればいい-。血統が肉質を左右する和牛の世界で、種雄牛づくりはそれくらい難しい。最適と思われる組み合わせで交配しても、農家から評価される牛が生まれる確率は1%にも満たないとされる。
平茂勝と安福久は、その上をいく「スーパー種雄牛」である。徳重さんは「偶然と幸運が重なった結果」と控えめだが、両方の発掘に関わった「のざき」社長の野崎喜久雄さん(72)は「血統は県外産地にも広がり、肉質の飛躍的向上に貢献した」と力を込める。
全国和牛能力共進会の出品牛リストからも、影響力の大きさはうかがえる。5年前の前回大会で種雄牛候補部門に出された18道県の22頭のうち、18頭が平茂勝や安福久の孫、ひ孫だった。
2頭の登場は、1991年の牛肉輸入自由化に伴い、廉価な外国産との差異化が求められていた時期と重なる。以後、和牛は高級な霜降り路線を加速する。
鹿児島も大消費地に欠かせない存在になっていく。
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