米高級スーパー「ホールフーズ・マーケット」をはじめとした自然食品分野のしょうゆ部門で、キッコーマンより高い30%のシェアを占め、トップメーカーに君臨する日本ブランドがある。1804年に創業された三重県のサンジルシ醸造をルーツとする米国法人サンジェイ・インターナショナルだ。展開するたまりしょうゆは米国人に「TAMARI」として親しまれ、一般名詞化しているほど。なぜ成功したのか?
サンジェイ・インターナショナル(SAN-J)は、1978年に米バージニア州リッチモンドに設立された。主力のたまりしょうゆは、キッコーマンやヤマサ醤油が製造する濃口しょうゆが大豆と小麦を半々で使用するのに対し、大豆をメインにこうじを加えて発酵・熟成させたものだ。主に三重県や愛知県、岐阜県の東海3県で親しまれており、大豆由来の濃厚なうまみを特徴とする。
SAN-Jは、このたまりしょうゆをどのように米国で普及させてきたのか。最初に立ちはだかったのは、大手キッコーマンの壁だった。
というのも、SAN-J設立の5年前、すでにキッコーマンは1973年に米国でのしょうゆ生産を開始しており、圧倒的なシェアを獲得していたのだ。“新参者”であるSAN-Jの入り込む余地は少ない。そこでSAN-Jが取ったのは、徹底した現地化戦略だった。
日本から進出する多くの企業は、在米の日本人や日系人を主な想定顧客とし、米国市場に参入する。日本での知名度が生かせるため、初年度からある程度の売り上げを見込めるからだ。日系の小売店や卸業者を通せば、商品の流通もスムーズに進む。
ところが、SAN-Jは進出当初から現地の米国人をターゲットに設定。すでにキッコーマンがいたことも大きいが、そもそも米国在住の日本人・日系人は現在でも150万人程度と少なく、市場は決して大きくない。日本のおよそ3倍という米国の人口の多さを考えれば、「在米の日本人だけではなく、最初から現地の人をターゲットにしたほうがビジネスとして成功しやすい」(サンジェイ・インターナショナル社長の佐藤隆氏)というわけだ。
その際に重要なのは、現地の食習慣や好みに製品を落とし込んでいくことだ。SAN-Jが最初に目を付けたのは、1970年代に勢いがあった「ヒッピー」だった。ヒッピーは旧来の価値観などに対するカウンターカルチャーで、特に東洋文化に関心を持つ人が多く、四季折々の食材を使う和食のコンセプトに引かれる人も少なくなかった。
そこで、「ヒッピーの人たちに合う調味料を提案しようと、有機栽培の原料を用いて添加物を使わないたまりしょうゆを造った」(佐藤氏)という。その後、米国で自然食のブームが広がり、それにフィットするSAN-Jのたまりしょうゆは徐々に浸透していった。
米国人にストレスなく使ってもらえるしょうゆとは?
順調に売り上げを伸ばしたSAN-Jは、1987年に米国で工場を建設して現地生産、現地販売を開始した。日本人からするとメード・イン・ジャパンのほうが米国で受け入れられやすいと思いがちだが、「食品に限らず、よくある誤解。米国人はメード・イン・アメリカへの忠誠心が強い。しょうゆに対しても同じような傾向がある」(佐藤氏)という。
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